府内と大友館

<豊後府内>
今から四百数十年前の戦国時代、大友氏は、大分川河口左岸、現在の元町から長浜町にかけて南北約2.2km、東西約0.7kmの範囲に広がる「府内の町」を作りました。府内の町は、南北に4本、これと交差する東西に5本の道路によって格子状に区画され、大友館を中心にして万寿寺など多くの寺社が建てられ、道路に沿って40余りの町がありました。また、町の西側には教会や病院、コレジオといった西洋文化の香りをにじませた一画もあり、府内の町を特徴づけるものです。この町は、戦国時代の京都を描いた洛中洛外図屏風の様子によく似ているといわれています。

「よみがえる大友館と南蛮都市」(大分市教育委員会著)より。

<参考>
府内の当時の姿が、発掘調査の結果、はっきりしてきました。以下のサイトで観賞できます。
http://www.pref.oita.jp/10400/neooita/vol44/special.html

<大友館>
府内大友館跡は、国道10号線と県道大分ー臼杵線交わる三叉路交差点の南側一帯(顕徳町3丁目周辺)にある。一辺が200メートルのほぼ正方形の敷地で、土塁と築地塀で囲まれ、大分川寄りの東側には正門、南、北、西側には各々小門があったといわれている。館跡一角の広場は、往時大きな京風の庭園とみられ、京文化と深いかかわりをもった大友氏の趣向が垣間みられる。

「豊後大友氏400年の風景」(加藤貞弘、牧達夫共著、大分古国府歴史文化研究会)より。

<参考>
大友館、万寿寺など豊後府内の主な建築物を、CGで復元した姿(動画)を以下のサイトで観賞できます。
http://restoration.indent.jp/