宗麟とザビエルの運命の邂逅(2)

宗麟(義鎮)とザビエルの邂逅を、キリスト教信者の遠藤周作氏に描いてもらうと、

「王の挽歌」(遠藤周作著、新潮社)より。

・ザビエル;「殿がこの府内にお招きくだされたのは、御領国を交易で富ませるためでございますか。それとも、、、ご自身の心の救いを求めてでございますか」
・義鎮;「家形というの者はいつ死に直面するこましれぬ。既に山口の大内義隆殿の死は耳に致されたであろう。大内殿は自決の折、無念無想になられたと聞く。しかし正直申せば余はまだそのような境地になれぬ。」
・ザビエル;「案じられますな。死の折はわれらの神にすべてを委ねられませ。いかなる罪ある者も、主はやさしくお受けとりになります。ただし、その男が罪を心から悔いておりますならば、、、。」
・義鎮;「よくわからぬ。尊師の申さる罪とは何を指すのか」
・ザビエル;「罪とは神と人への愛のなきことでございます」
・義鎮;「愛?愛こそ悟りを妨げるものではないか」
・ザビエル;「ではこう申しましょう。人のためにわが身を捨てる。これに勝る愛はないとイエズスは語られました。だからこそイエズスは我々人間のために命を捨てられたのでございます」
・義鎮;「他の者のために命を捨てることが愛か」
・ザビエル;「もとより神の御教えには殺すなかれ、奪るなかれ、偽りを申すなかれ、と幾つかございます。しかし、それにもまして他の人々のため身をつくし、心をつくした者は死に臨んでもはや何も恐れますまい。神にすべてを委ねます」
・義鎮;「大友家の家形であり、九州数国の領主である余には、養わねばならぬ一族、重臣、家来がいる。そのためには、敵とも戦わねばならぬ。敵から奪わねばならぬ。敵を殺しだまさねばならぬ。家形である限り、尊師の教えを守れば、領国を失うことになる」
・ザビエル;「殿、魂の至福を獲ることは、家形を守ることより大事でございます。もし殿が我らの神を御信心になる時は、神は今の殿よりもっとおおきな栄光をお与えになりましょう」
・義鎮;「家形でありながら、、、尊師の申さるる道を歩むことができた者がいるか」
・ザビエル;「ございました。その王は自分の領国に神の国をそのまま作ろうと努めました。その国では民は王を敬いますが、それは王を怖れるゆえではございませぬ。王は民を慈しみ、民は王を慕うておりました」
・義鎮;「その王は戦うたことはないのか」
・ザビエル;「戦うたことはございました。しかし、それは奪うためではなく、侵す者を防ぎ懲らしめるためのみでございました」

「王の挽歌」(遠藤周作著、新潮社)より。