2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

来日宣教師の活動状況

ザビエル来日(1549年)からバテレン追放令(1587年)までに来日した主要宣教師11名の国籍、生存期間と日本滞在期間を紹介する。「聖フランシスコ・ザビエルの日傘」(平湯晃著、河出書房新社)より。 フランシスコ・ザビエル<スペイン>(1506…

秀吉とバテレンと奴隷売買

1587年7月15日、関白秀吉は九州征伐を終え、凱旋の途中、博多湾姪浜で、南蛮バテレン専用船の「フスタ」を訪問し、船内をくまなく巡察し、またイエズス会副管区長コエリュやフロイスらと親しく懇談した。しかし、24日、突然、秀吉のイエズス会に対…

イエズス会の世界戦略と豊後

「イエズス会の世界戦略」(高橋裕史著、講談社選書メチェ)より。 <イエズス会の世界戦略> 国家(ポルトガル)権力との共生関係(王室布教保護権など)、教団内外の経済力(貿易の従事など)、文化的・科学的戦略にもとづく布教方法の導入(適応主義政策…

特異な戦国都市

戦国の地域王国Bungo Funaiは、中心部にはまさに「洛中洛外図屏風」の世界を体現する館と市街地を、そして、その外郭に同心円状に、「戦国」に対応する山城と直属の武士(家臣団)が取り囲む空間構造だったのである。 宗麟は、新興国人である信長とは異なり…

西洋音楽の発祥地

豊後府内は、キリスト教の日本布教に伴い、バテレン達が西洋音楽を初めて持ち込んだ土地です。 空想安土城御前演奏会 信長が安土城で聞いたであろう中世音楽演奏の再現です。 すこし時代が進みますが、大友宗麟も豊後府内の大友館で同様の演奏を聴いたのでし…

中世音楽の夕べ

1998年大分県臼杵で開かれた「南蛮文化フェスティバル」の「中世音楽の夕べ」のプログラムです。 秀吉、大友宗麟、伊東マンショらが聞いたであろう中世音楽を再現します。Nanban Bunka Festival残念ですが、音源は添付されていません。

府内の破壊と奴隷狩り

「豊後大友氏400年の風景」(加藤貞弘、牧達夫共著、大分古国府歴史文化研究会)より 1586年、豊後府中に乱入した島津軍は放火狼藉の限りを尽くした。万寿寺、円寿寺、金剛宝戒寺、永興寺、大平寺、祇園社、若宮社、春日社、と由緒ある神社、仏閣をは…

南蛮医アルメイダ年譜

戦国時代末期の日本を訪れたポルトガル人。商人であったが、医師の免許を持ち、西洋医学を日本に導入して日本初の病院を作ったことで知られる。後にイエズス会員となった。 1525年?ポルトガルの首都リスボンに生まれる。ルイス・デ・アルメイダ 154…

大友宗麟関係年表

1172年、大友能直(豊後大友氏初代)相模国大友郷にて出生。 1530年、義鑑(よしあき)の長子、義鎮(よししげ)(21代)(後の宗麟)誕生。 1541年、ポルトガル商人豊後に至る。 1550年、大友二階崩れの変、義鎮家督を継ぐ。 1551年、…

挨拶

15世紀末のヨーロッパでは繁栄するアジアの富を目指し、「大航海時代」が到来した。スペインの援助を受けたコロンブスは西インド諸島に到着。ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマは喜望峰経由でインドに到達した。16世紀に入るとスペインは新大陸アメリカを…