戦乱の日々

豊後大友家盛衰記の連続刊行

最近、赤神諒氏により、豊後大友家の盛衰を題材にし、「大友サーガ」と評判の歴史小説が連続して発刊されています。 大友二階崩れを題材にした「大友二階崩れ」、通称「小原鑑元の乱」を題材にした「大友落月記」、大友の宿将戸次鑑連(後の立花道雪)の凄烈…

宗麟時代の軍団編成

「大分県先哲叢書 大友宗麟 普及版」(芦刈政治文、大分県教育委員会)より。 宗麟は、直接、自分が指揮する旗本軍団を持っています。主として主君を守る武士たちです。人数はあまり多くないようです。大友軍のうちで、もっとも大きな戦力を持っているのは城…

宗麟の戦乱の日々

1530年5月;義鎮誕生 1534年4月(5歳);父義鑑と大内義隆の戦い(勢場ヶ原の戦い) 以下の図は、大内氏滅亡直後の九州の大名群雄割拠の状況 1550年2月〜1554年11月(21〜25歳);二階崩れの変と菊池義武征伐 1553年1月(2…

秀吉とバテレンと奴隷売買

1587年7月15日、関白秀吉は九州征伐を終え、凱旋の途中、博多湾姪浜で、南蛮バテレン専用船の「フスタ」を訪問し、船内をくまなく巡察し、またイエズス会副管区長コエリュやフロイスらと親しく懇談した。しかし、24日、突然、秀吉のイエズス会に対…

府内の破壊と奴隷狩り

「豊後大友氏400年の風景」(加藤貞弘、牧達夫共著、大分古国府歴史文化研究会)より 1586年、豊後府中に乱入した島津軍は放火狼藉の限りを尽くした。万寿寺、円寿寺、金剛宝戒寺、永興寺、大平寺、祇園社、若宮社、春日社、と由緒ある神社、仏閣をは…